【第9話】はじめて作った夕食と、悲しい涙

胡桃

夫のお父さんは、無類のお酒好きでした。いつも飲んでました。
もちろん現役の間はお仕事はちゃんとされていて、すごく出世されてました。
人とのご縁を大切にする方で、お友達がたくさん。
実は私と夫の結婚式も、3分の2はこのお父さんの関係の方々でした。

そんなお父さんは、飲み屋で知り合った全く知らない人でも、すぐに家に連れて帰って、また宴会が始まるっていうのを、いつもやっていたそうです。
お母さんは、本当に大変だったはず。ご自身も仕事されてましたから。
それでも、まあ口では文句言いながら、できることをされてたようです。
「急に来るほうが、何も食べる物がなくてもあっちから文句はあんまり言われないから、楽なんだよ」と、気遣う私にそう言ってました。心が広いなあ。すごいなあ。と感嘆していました。

私は、お酒そのものがあまり好きではありません。結構飲めるほうで、アルコール耐性はあるようですけど。
昔は、職場での飲み会もよくありましたね。お酒で気持ちがゆるんで、本音を言えるようになるから、という趣旨の飲み会。その趣旨自体が、私は嫌いでした。
いやいや、言えることはちゃんと言おう?と思ってましたね。
どうしても言えないなら、それは、お酒の力を借りていうべきことではないのでは?と思っていました。頑なな、リアリストですね。

お父さんのことを、結婚する前からそういう方だというのは知っていたので、夫もそうなるのかなと不安で、結婚前に一度聞いてみたことがあります。そうしたら、帰ったらもう眠くて、それどころではない。飲み会も楽しくはないし、あまり友達を作るタイプでもないし、大丈夫。そう言ってました。

それは、本当でした。だから、そこは感謝しています。
夫のお父さんみたいな生活の人だったら、私はどこかで、なんとかして離れていたと思うんです。
夫は、仕事が終われば、食事を食べて、電池が切れたように寝る人。晩酌をすることもありません。

でも一度だけ。
結婚して、新居で暮らし始めた、初めての晩。
私が自分で夕食を作った初めての晩でした。
突然、上司の方を連れて帰宅しました。

その上司の方は、おちゃめなおじさんなのです。悪気はないけど、遠慮もしない。
きっと、主人と同じようなタイプの、明るく元気な、もちろん営業マンです。仕事もできる方でした。

その夜は、私と夫の二人分の料理だけ。
それも慣れない私がやっと作った料理しかなくて、お酒もなくて。
結局、何のおもてなしもできずじまいでした。
私は恥ずかしくて、本当に申し訳なく、ずっと謝っていました。

それでも、上司の方はにこにことお茶を飲んで、おかずを少し食べて、ご機嫌でお帰りになりました。おそらく用件は、私の顔をじっくり見に来た、という感じかなと思います。その方に対してはそんなに不快ではなかったです。お話もできて、たくさん笑いもしました。

ただ、非常にあせりましたし、疲れました。慌てました。
たしか、かぼちゃの煮物をつくってあったのですが、それが、味付けを間違えていて、すごく濃かったんです。申し訳なかったです。

で、まだ殊勝な新妻である私は、上司の方が帰られたあと、夫を責めながら泣きじゃくりました。
「なんで急にお連れしたの?何も食べるものがなくて、ちゃんとおもてなしできなかったじゃない。今度はもっと、美味しいものをお作りするから。ごめんなさい。」
泣きながら、そう言ったらしいです。私は疲れて泣いていたので、あまり覚えてないんですけど。
一応夫は「ごめんごめん」とは言ってた気はします。軽い感じで。

そして後日。
夫は私にこう言ってきました。
「あれなぁ、自分ができないっていうのが、嫌だったんだろ?なんて気が強い嫁をもらったんだ、と俺は思ったよ」と。

え?今なんて言った?
もうね、デリカシーのなさ、みたいな語彙では説明できないです。
とんでもない人だなと思いました。
たしか言い返したと思いますけど、それは思い出せません。
急に連れてくるあなたが悪いんでしょ、という論理で話をしたんだろうなと推察しますけど。

あのとき泣いた私の「一生懸命」は、夫の目には「負けず嫌い」と映ったようです。 私は、十分におもてなしをできなかった申し訳なさが一番つらかったのに。
でも夫は、それを「自分の能力が発揮できなかったことへの怒り」、つまり単なるプライドの問題だとすり替えてしまいました。
この溝の深さ。これをだんだんと、私は知っていくことになりました。

ああ、あの日の自分のどっとくる疲れを思い出したら、また腹が立ってきました。
私は、こう言ってほしかったです。

「すまなかった。急に連れてきて、ごめんな。どうしても連れて行けっていうから、断りきれなくて」

これが普通の、社会的常識のある大人の対応だと思いませんか?
思いやり、っていうものの、方向性が違うのかな。
今でもあまり理解できていない、デリカシーのなさのお話でした。

▼胡桃の独断によるMBTI的分析

性格傾向の遺伝は、環境の影響が50%ぐらいだろう、といわれているそうです。
夫の育った家庭環境では、上司を一人、急に連れてくるぐらいは、たいしたことなかったのかもしれません。
でも私の父は、そういうことはほぼない人だったので、私は慣れていません。
それに、自分で「俺はそういうタイプではない」と言っていたのに。
これもまた、そのときの思いつきで言ったのかも?と今ならわかるんですけど。

夫は、自分の非を認めない、というほどの強情さはないのです。
というか、そんなことをするぐらいなら、心にないことでも、あやまっておけばいい、と考えるタイプ。

私は、自分が悪くないと思ったら、絶対にあやまらない。
これまでの喧嘩でも、自分からあやまったことはないです。
夫は、わりと謝ってはくるんですね。
愚かな私は、それを「私が正しいことを、やっとこの人は知ったんだ」と思っていました。

そうではない、と今の私は断言できます。
単に「状況を解決して、おいしくご飯を食べたいために、ここは謝っておくか」だったのです。
夫にとって「謝罪する」ことは、「平和に暮らしていくための潤滑油」のようなものなのですね。

こういう考えで生きていくって、人としてどうなの?
そこは、私にはもう、理解したくない領域です。
子どもたちは、こういう考えではないです。
それは「ずるい」と認識しています。

それが私には、本当に救いですね。ありがたい。
神様に感謝しています。

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